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特別展「生命大躍進」レポ

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 前回かはくのリニューアルされた常設展について紹介したので、今度は特別展「生命大躍進」のレポートといきたい。夏休み中の混雑は日を見るより明らかだが、幸い会期が長い(10月4日(日)まで)ので、9月になってからでも安心である。また、名古屋、愛媛、大阪、岡山と巡回するのもありがたいところである。
 
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 年代順に進んでいくかっこうとなっているので、割とすぐにバージェスの連中のお目見え(エディアカラのは写真がうまく撮れなかった。。。というか、全体的に筆者のへっぽこ撮影技術&機材ではかなりしんどかったのも事実)である。とりあえず、入り口からちょっと進んでこんなものが出てくるので、人波がものすごいことになるのは自明である。

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 前半身だけで正直お腹いっぱいになれるのだが、こんなのまである始末。もちろん、バージェスの他の連中もこのクラスの化石(ネクトカリスの完全体とか)がガンガン飛んでくる。相応の覚悟が必要だろう。

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 バージェスだけにいい顔はさせない、ということでこいつらも多数参戦。相変わらずため息の出る保存状態である。

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 ステルススティンガーとサックスティンガー、あるいはマザーファンネルとチルドファンネル(違

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 三葉虫もカンブリア紀からしっかり展示。無意識のうちに値段を計算しようとするのは悪い癖である。

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 一昨年のモンゴル展以来、この手の表記が増えた気がする。表記がはっきりしているのは嬉しいところである。ボロいラベルが貼りついているのがまたそそる。

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 さりげなく単弓類もちょいちょいレアものが。レプリカではあるが、元標本が素晴らしいとやはりいいものである。

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 恐竜も脇役ながら割といいチョイスといった印象。しかし映り込みがひどい。

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 実はヤンチュアノの頭骨をちゃんと見るのは初めてだった筆者。

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 新生代の化石哺乳類もなかなか充実している。この辺の化石は質感がとても美しい(が筆者の写真には反映されていない)。

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 当然化石人類も充実している。ライティングの関係でほとんどホラーのような写真になってしまった。



 駆け足かつ恐ろしく適当に紹介したが、やはりこの展示は自分の目で確かみてみろ!確かめられることをおすすめする。超一級品の化石が揃っており、複数回通う価値はあるだろう。
 いささか展示解説と実際の展示の間にギャップもあったり(解説は遺伝子推しであり、微妙に噛み合ってない部分もある印象)もするのだが、その辺はご愛嬌というべきだろうか。とはいえ、これだけの化石が一堂に会する機会はまずあるまい。あんな化石からこんな化石まで、存分に驚かせてくれるだろう。
 写真の撮りにくさをちょいちょい愚痴ってはいるが、そのあたりはえらい気合いの入った図録に綺麗な写真が載っているので割と無問題だったりもする。(しかも図録の通販もある。展示を見に行けない方も、図録だけはぜひ買われたい)
 NHKスペシャルの評判はパッとしなかったが、展示の方は特濃でどっぷり浸かれること請け合いである。

(余談になるが、毎度海洋堂はいい仕事をしている。筐体の脇に両替機も完備されているので、「わーっ、あてるぞ!!」と叫びながらガチャガチャを回そう)


ジョジョ・・・人間ってのは写真判読に限界があるなあ
おれが短い人生で学んだことは・・・・・・・・・・・・
人間は写真を判読すれば判読するほど予期せぬ写真で判読がくずされるってことだ!
・・・・・・・・・・・・
直接目に焼き付けねばな・・・・・・

、、、、、、、、
おれは横浜に行くぞ!ジョジョーーッ!

おれはヨコハマ恐竜博を見学するッ!
ジョジョおまえの金でだァーッ!!

 

「ダイノワールド2015 ヨコハマ恐竜博」レポ

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レポート3連発であるが、前編で止まっているティラノの記事を忘れたわけではないので安心してほしい。8月に入るとなんだかんだそこそこ忙しかったりもして、行けるうちに行った結果がこれである。
 ヨコハマ恐竜博については公式サイトに出ている情報が色々とアレだということもあり、わりと警戒気味の読者の方も少なくないだろう(筆者もそのクチである)。手放しで勧められないのが正直なところではあるというか、ある種上級者(?)向けめいたふうはある。
 初めに書いておくと、本展には図録が存在しない。また、キャプションも最低限(以下)であり、業者のセットに付属していた英語のパネルのみ、というのもザラである。本展の「小物」の多くは主催者の販売商品であり、したがってそこのサイトである程度情報が入る。また、北米のジュラ紀後期組の多くはWPL(北米古代生命博物館の運営会社)の実物やキャストであり、そちらのサイトを参考にするとよいだろう。

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入るといきなり懐かしい顔が待っている。ケラトサウルス(完全度はまずまず良好)は亜成体である点に注意。

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 アロサウルスの産状(もどき)はなんというか、うーん。

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 展示の配置自体はなかなかよいものである。組立骨格の方も(たぶん)産状もどきと同型で、かなり肉薄して観察できるのがありがたい。オリジナルもかなり状態が良かったらしい。

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目玉のひとつ、ハリサウルスHalisaurusに近縁な新種(?)のモロッコ産モササウルス類。かなりの部分(90~95%だとかなんとか)が純骨だという。

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唐突な毛サイ。コエロドンタ・・・なのか・・・・・・?

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この辺の小物の展示はもはや完全に値札のないミネラルショー状態である。せめてラベルは(もっとしっかりした材質で)新調しようぜ。。。モノ自体はよいものが揃っている。

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謎のハーパクトグナトゥス推しコーナー。

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ヘスペロサウルスは模式標本のレプリカのようだ。このあたり、どうも模式標本を発掘して林原に売却したのがWPLということらしい。

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有名なこの標本(実際には50%ほどが見つかっているだけだという。デンヴァー博物館の「のど鎧ステゴ」とは別物である)も、WPLの看板商品ということのようである。この辺の展示はかなり肉薄できる。

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なんとなく息抜きになるゴニオフォリス。これもWPLのキャストである。

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ガーゴイレオサウルスの模式標本を発掘したのもWPLということらしい。色々な角度から観察できるのが嬉しいが、恐ろしいことに日本語のキャプションはない。

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タニコラグレウスの産状(棒読み)。隣にあるなんとも言えない復元模型もポイント。

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マジュンガサウルスは昔上野に来た復元骨格と同型と思われる。特異なプロポーションがよくわかる。

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マジュンガサウルスの顔。正面から観察できるのは嬉しいところである。

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このナノティラヌスは最近になってトリーボールドが売出し中のタイプである。全体的にやや胡散臭い作りというべきか。

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頭骨も割とアレな出来である。というか、ナノティラヌスにしては歯の数が少ない気もする。

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今回の主役のひとり、ティンカー。首から後ろについては、部分的な尾椎20個に血道弓12個、胴肋骨5本に頚肋骨2本、恥骨と座骨に不完全な腸骨、肩甲骨の一部と烏口骨、上腕骨、いくつかの末節骨(手足)が発見されているという(N.Larsom, 2008)。要は首から胴にかけての部分と、後肢はほぼ完全に作り物ということである。

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ティンカーの頭部アップ。涙骨と後眼窩骨以外は(表面の骨は)ほとんど揃っているらしい。鼻骨は断片的であるといい、従って見るからに怪しい鼻骨のライン(上顎骨と鼻骨の接するあたりに注目)はおそらくアーティファクトだろう。眼窩に食い込んだ後眼窩骨の突起も、実際に(ここまで発達したものが)存在したかどうかは微妙なところである。

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生き馬の目を抜くモリソン層、ということでさっきのケラトサウルスがアロサウルスに(同じシチュエーションで)襲われている。

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頭骨はかなり左右に潰れている(従って、完全な模型というわけではないようだ)が、アロサウルスの中でもかなりかっこいい部類である。筆者には素性がよくわからないのだが、ピンと来る方がおられるだろうか?

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日本初公開という「カンプトサウルスの全身実物骨格」(あれ、福井のは・・・?)
実際のところ、恐竜博2006で来日していたカンプトサウルスの実物を組み立てたものであるらしく、尾を除いてほぼ完全であるようだ。頭骨もよく揃っているらしいのだが、かなり破片になっているようなので注意。

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最初の方のアロサウルス×2とおそらく同型のもの。「アロサウルス・ジムマドセニの復元骨格」としてWPLから販売されていたりもするようなのだが、色々な意味でA. sp.(の幼体)もしくはフラギリスの幼体としておくのが安全だろう。少なくとも、この骨格はジムマドセニの模式標本のレプリカではない。

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 キャプションがロクにない(こればっか)のだが、これはWPLのドリオサウルス(実物)である。不足部位(右上の図の白塗りの部分)は3Dプリンターの出力品で補われているとのこと。

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このアロサウルスも素性が定かではない。頭骨は見るからにDINO 2560のレプリカである。

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さっきのカンプトサウルス(実物)と同型らしい。元がいいだけにこいつもなかなかの出来である。

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このディプロドクス(全長20m)はロングス名義である。ちょこちょこ物珍しい展示(頸椎ひと続きなどの実物)もある。

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このドリオサウルスは先程の実物骨格とは別物である。これはこれで良作といえるだろう。

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ものすごくポールでルイス・V・レイな感じのオスニエリア(というかオスニエロサウルス)

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このケラトサウルスはかなり大きいのだが、角が非常にうさんくさい形である。どっかで見たことある顔・・・と思ったら、モンタナ闘争化石のオークションの時に同型の頭骨が一緒に出品されていたのであった。
 ベースになっているのはどうやらUMNH 5278C. dentisulcatusの模式標本)で、ケラトサウルスの中ではもっとも大きい標本となる。もうちょっと角は大きめに(かつ滑らかな感じに)復元して罰は当たるまい。頭骨はナシコルニスの模式標本に似せて作っているように思われる(上顎骨の後部を盛っているように見える)。

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一番の主役・・・のはずなのだが、いまいち扱いのぱっとしないトルヴォサウルス。キャプションによれば、ヨコハマ恐竜博終了後に研究機関に引き取られるらしい。

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去年のヨコハマ恐竜博にてマスターフォッシルのブースに(売り物として)鎮座していたはずだが、今年はどうも記念撮影コーナーに降格となったもよう。

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あれ、お前も売り物だったんじゃ・・・・・・(※おさわりOKのコーナー)



 昨年行かれた方はお察しの通り、化石の展示は会場面積の2/3程度である(あとは・・・ねぇ)。また、昨年とは異なり、今回展示される標本の大半(というか恐らくすべて)は博物館に収蔵されているものではない(同型のものはちらほらいるが)。そのあたりは色々とアレなのだが、そういう意味では二度とお目に書かれない標本も少なからずあると思われる。
 幸か不幸か「おゆうぎコーナー」が充実しているので、親子連れはそちらへ引き寄せられがちである。標本のほとんどはかなり肉薄できるので、親子連れがそちらへ流れるまで持ちこたえればこちらの勝ち(?)だろう。


暴君王の遍歴(後編)

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Top to bottom, "Dynamosaurus imperiosus" BMNH R7994 (in part),
Tyrannosaurus rex holotype CM 9380, 
Tyrannosaurus rex AMNH 5027,
Tyrannosaurus rex FMNH PR 2081.
Scale bar is 1m.

 前回からだいぶ間が空いてしまったのだが、しれっと続きを書きたい。だいぶ内容を忘れている方もいらっしゃるだろうが。。。

 さて、1915年に完成したAMNH 5027の復元骨格は、当時最高のプレパレーターによって、当時最高の技術の粋を集めて作られていた。
 不足部位には奇跡的にほぼ同サイズだったAMNH 973のキャストがあてがわれ、それでもなお不足する部位はアロサウルスを参考にして製作されたパーツが組み込まれた。また、とてつもなく重く、かつ貴重な存在である頭骨をあえて骨格に組み込むことはせず、軽量なレプリカが代替とされた。さらに、復元骨格は台座ごと移動が可能な作りとなっており、展示室のレイアウト替えにも容易に対応できるようになっていた。(実際、1920年代になってAMNHの増築がおこなわれた際に、他の展示骨格もろとも移動させられている。この時、ついでに腕もゴルゴサウルスベースの2本指に交換された。)
 この堂々たるAMNH 5027の復元骨格は、その後数十年に渡ってティラノサウルス唯一の復元骨格であり続けた。この骨格の存在によって、「ティラノサウルス」の名はもっとも有名な恐竜のひとつとなったのである。

 AMNH 5027の復元骨格が完成してから30年以上が過ぎた1941年、世界には大戦の嵐が吹き荒れていた。オズボーンはすでに亡く、AMNHはしばらく前から財政難に悩まされていた。
 金欠のAMNHには最後の切り札があった。「戦火を避けるため」に、AMNH 973―――ティラノサウルス・レックスの模式標本―――をカーネギー自然史博物館に売却するのである。アメリカが参戦する以前から交渉は進められており、AMNH 973はAMNH 5027のキャストなどと合わせて10万ドル(現在の価値で170万ドル)にてカーネギー博物館へ売却された。
 AMNH 973の完全度はそう大したことはない(しかも、実物頭骨はオズボーンの旧復元に合わせて石膏に埋め込まれていた)。よってカーネギー自然史博物館のスタッフは容赦なくAMNH 5027のキャストとAMNH 973―――今やCM 9380―――を組み合わせ、2体目となるティラノサウルスの(実物)復元骨格を突貫工事で作り上げたのだった。

 時は流れて1960年、すったもんだあって元ディナモサウルス―――AMNH 5866は、ロンドンの自然史博物館へと売却され、BMNH R7994となった(この時一緒に、AMNH 5881なども売却された)。“ディナモサウルス”はAMNH 5027などのレプリカと合体させてウォールマウントとして組み上げられ、モダンスタイルで組み上げられた最初のティラノサウルスとなった。かくして皇帝の復権となったのである。

 やがて恐竜ルネサンスの波が業界を覆い尽くし、そしてリノベーションの波が生まれた。世界の有名博物館は続々とリニューアルを開始し、そのとばっちりであっけなく“ディナモサウルス”は解体されてしまった。
 AMNHのリニューアルの目玉のひとつとしてAMNH 5027も解体され、組み直す過程で尾が短縮され、頭骨も“新型”へ換装された。一方でアルクトメタターサルのない足はそのまま残され、今日みられるAMNH 5027へと生まれ変わったのである。
 AMNHに遅れること10年余りでカーネギー自然史博物館もリニューアルをおこない、この時CM 9380の復元骨格も解体された。上塗りされた樹脂や石膏が慎重に取り除かれ、組み直されたCM 9380はMOR 980のキャストと向かい合う形で展示されたのだった。かつてのオズボーンの宿願が、ライバルだったカーネギー自然史博物館の手によって再現されたのである。

 一方、華やかなリノベーションの陰で、ひっそりとマノスポンディルスが息を吹き返しかけていた。マノスポンディルスがティラノサウルス類(というかティラノサウルスそのもの)である可能性はとうの昔にオズボーンによって指摘されていたのだが、風化の進んだ椎骨ふたつ(実質ひとつ;AMNHに収蔵された時点でひとつは行方不明になっていた)ではどうにもならないということで、マノスポンディルス・ギガスは疑問名となっていたのである。
 2000年になってBHIがサウスダコタで発見したティラノサウルスの部分骨格は、状況からして誰かの掘り残し―――おそらくはコープの―――だった。かくしてマノスポンディルスがティラノサウルスのシニアシノニムと断言できる可能性が急浮上した・・・が、結果は皆様ご存じの通りである。

 数奇な運命を辿ったこれらの標本たちだが、今なお元気(?)である。模式標本CM 9380は美しく組み直され、足元に因縁のCM 1400を従えている。“ディナモサウルス”も復元骨格が解体されこそしたが、歯骨などは現在でも展示されているという。また、「ディナモサウルスの皮骨(BMNH R8001)」はアンキロサウルスの皮骨の配置を明らかにするうえで重要な役割を担った。そしてAMNH 5027は今なおティラノサウルスの“顔”として君臨している。

メガ恐竜展2015 レポート

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 本業の方でバタバタしてたりなんだりでまたちょっと間が空いてしまったのだが、気を取り直してメガ恐竜展のレポート記事といきたい。隙を見て2回行った筆者(1回目はうっかりワンフェスとぶつかって地獄を見、2回目は謎の超豪華メンバーだった)だが、色々な意味で楽しめた(意味深)展示であった。

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 会場に入ってもういきなりこれである。たのしそう(小学生並の感想)

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 色々とものすごいというか、今のご時世案外貴重かもしれない。とりあえずこっちみんな

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 こいつは10人くらいは人を殺しているようにみえる。生命大躍進の子とは大違いである。

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 あまり扱いがパッとしない感じもある(何しろ胴椎ひとつである)が、アンフィコエリアス・フラギリムスの「模型」も出迎えてくれる。モデルになっているのはカーペンターによる復元のようだ。

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 MORから福井にいつの間にか身売りされていた(あるいは量産型なのか?)トロサウルスの模型。頭部の芯になっているのはMOR 1122(の復元)のレプリカであり、角竜の頭骨化石でも屈指のサイズだけあって見ごたえがある。

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 エントランス部分はもっとヤバい造形の模型もあってとても楽しいのだが、キリがないので割愛。このショニサウルスの頭骨は、科博に常設展示されている標本をベースに復元(ほぼイチから作ったようなものだろうが)されたもののようだ。実質模型とはいえ、魚竜の3D頭骨が見られるのは嬉しいところ。

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 バシロサウルスしか見えていないが、この辺は(出来はともかく)かなり珍しい骨格が多い。素直に巨大海洋生物展でも良かったんじゃ・・・とか思ったりもする筆者である。写真は割愛するが、ちょこちょこ無脊椎動物連中にも面白いものがある。(微妙に生命大躍進展と被ってくるあたりがアレだが。。。)

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「ところで俺の(自主規制)を見てくれ。こいつをどう思う?」
「すごく・・・大きいです・・・」

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 そうこうしているうちに恐竜のお目見えである。必ずしもメガな連中ばかりではないのだが、案外通好みな標本が多い。たとえばこれは群馬県博のカマラ+カーネギーの産状カマラである。

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 アンテトニトルスはかなり玄人好み・・・だと思うのだが、幕張ではとっくにおなじみになってしまったせいかあまりありがたみはない(殴

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 色々すっ飛ばして今回の主役、トゥリアサウルスの復元骨格(前半身)。全体的に模型臭い作りだが、肩帯を何とかすれば結構みられる代物だろう。足元には部分的な頭骨やら共産したカルノサウルス類の歯(撮影禁止―――そのうち論文にするのだろう)もあり、むしろ足元のほうが必見かもしれない。

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 エウロパサウルスは出来がいい(コンポジットではあるのだが)せいかホッとする。エウロパサウルスの実物化石もかなり展示されており、保存状態の良さにため息が出ること請け合いである。

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 個人的な今回の目玉はエウへロプスである。こいつの保存状態の良さは読者の皆様にはご存じの通りだろうが、やはり素晴らしい。

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 復元骨格は福井県博が手掛けたもので、近年の例(未命名のタイ産鳥脚類、コンカヴェナトル)と同様なかなかよくできている。肩帯の復元はなかなか難しいところだろうが。。。

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 復元骨格にしてしまうと、案外首の長さは気にならなかったりもする。前半身(いわゆるexemplar aとcからなる)と後半身(exemplar b)とでは、前半身の方がやや大きい個体だというのだが、実際問題大した差ではなさそうだ。エウへロプスの骨格図はそう遠くないうちに書きたい筆者である。

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 目玉のひとつなのにパーフェクトスタン(手前の鼻骨)とデカすぎる立て看に隠されてしまうかわいそうなお友達リスロナクス。ガストンデザインがわりと無茶して作った骨格ではあるのだが。。。

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 予告も何もなかったのでビビった今回の個人的目玉その2、MWC 7584のレプリカ。地元の某博物館が所蔵しているという話は聞いていたのだが、現物にお目にかかるのは初めてである。当然とんでもなくデカい。上眼窩角とフリル後半部はお察しの通り復元で、全体としてかなり上下方向に押し潰されているようだ。

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 コウガゾウのほか、ケナガマンモスやファルコネリちゃんなども展示。もうちょっと他の骨格と比較しやすいレイアウトだと良かったのかもしれない。

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 こいつらも「メガ」であることを忘れてはいけない。



 読者のみなさまはもうお察しだろうが、「メガ恐竜展」はかなり混沌とした展示である。M.ザンダーによるもろもろの解説パネルがずらりと並び、それに沿った展示ということではあるのだが、うーん。コンセプトがはっきりしているのは悪いことではないのだが、この辺難しいところなのかもしれない。
 トゥリアサウルスの骨格の出来は(前評判通り)アレな感じだが、なんだかんだで見るべき標本は多い。「メガ恐竜展」というタイトルには一抹の疑問が残るが、ジュウレンジャーみたいなものだと思えばこんなものだろう。

(今回ひとつ注意が必要な点として、図録の作りがあげられる。展示の「シナリオ」にページをかなり割いたせいか、展示標本リストとしてはかなり不完全な代物(そもそも所蔵先のきちんとしたリストが存在せず、図録に写真が掲載されていない標本もかなり多い)となっているのだ。場合によっては、展示キャプションを一つ一つ写真にとっておいた方がいいのかもしれない。)

(というわけで、ご同行頂いた皆様には大変お世話になりました。何か機会があればまたよろしくお願いします)

ラ・ボニタ

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↑Skeletal reconstruction of Bonitasaura salgadoi.
Based on MPCA 460 (holotype) and MPCA 467.
Scale bar is 1m.

 ティタノサウルス類といえば眩暈がするほど多様なグループであり、見た目もかなりバラエティに富んでいるらしい(らしい、というのは大概の種が断片的な骨格に基づいていることによる)。すらりとしたスマートなものから鎧竜と見まごうばかりのどっしりしたものまで、実に様々だったようだ。
 体型がそれだけ多様なら、頭骨も多様であって然るべきである―――と言いたいところだが、まともな頭骨の知られているティタノサウルス類はかなり少ない。残っていても大概は脳函だけであり、直接の復元は難しかったりする。

 その点、断片的とはいえ頭骨の「外身」の要所が保存されていたボニタサウラの模式標本は幸運であった。ラ・ボニタの丘で発見されたそれは部分的に関節がつながった状態で残されており、部分的とはいえまんべんなく体骨格も保存されていたのである。
 ボニタサウラが産出したのはアルゼンチンはパタゴニアのリオ・ネグロ、バヨ・デ・ラ・カルパBajo de la Carpa層(サントニアン)である。模式標本から20mほど離れた場所からは他に2体のボニタサウラ(1体は模式標本と同サイズ、もう1体はやや小さい)が発見された。模式標本では神経弓と椎体の癒合が進んでおらず、従って亜成体であると考えられている。模式標本と同サイズの参照標本(MPCA 467)も、おそらくは亜成体なのだろう。

 ボニタサウラは(それなりに復元できそうな)頭骨と体骨格の揃った数少ないティタノサウルス類のひとつであり、従ってティタノサウルスの混沌とした系統関係を解き明かすカギになりうるはずである。当初ネメグトサウルス科とされた本種であるが、その後の研究でそう近縁でもないらしいことが明らかになった。
 再記載の際におこなわれた系統解析では、ボニタサウラはロンコサウリア(フタロンコサウルスとメンドーザサウルスMendozasaurus)、リンコンサウルスRinconsaurus、ムイェレンサウルスMuyelensaurus、そしてアンタークトサウルスと近縁とされた。要するに、南米の中型~大型ティタノサウルス類のまとまったグループ(アエオロサウルス類とは姉妹群となる)をなすということである。

 結局のところ比較可能なレベルの骨格(と頭骨)があまりないということもあり、ボニタサウラや他のティタノサウルス類の系統関係はあまりはっきりしていない。とはいえ、長い首をもち、かつ竜脚類の中でも有数の巨体を誇るフタロンコサウルスと近縁らしいというのは興味深いところである。
 ボニタサウラの首や胴の神経棘はよく発達しており、かなり筋肉質であったことがうかがえる。首と尾は(竜脚類にしては)あまり長くないようだが、四肢はかなり長い。(あるいは、模式標本(にして最良の標本)が亜成体であることも多少影響しているのかもしれないが。)
 ボニタサウラは口先の四角く広がった竜脚類の代表格としてニジェールサウルス、アンタークトサウルスと並んでよく取り上げられるのだが、実のところニジェールサウルスと比べればそう口先が広がっているわけではないようだ。吻の相対的な幅はボニタサウラ<アンタークトサウルス<ニジェールサウルスといったところで、あるいはこれはボニタサウラがニジェールサウルスほどはグレイザーに特化していないことを示しているのかもしれない。

(今回もSさんに資料のご提供を頂きました。ありがとうございます)

森に棲むデュラハン

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↑Skeletal reconstruction of Agathaumas sylvestris AMNH 4000.
Scale bar is 1m.

 角竜の化石といえば頭骨ばかり・・・ということは読者のみなさまもとうにお気付きのことだと思う。多くの角竜がほとんど頭骨のみに基づいて命名されていたりもするのだが、実のところ最初に命名された角竜―――アガタウマス・シルヴェストリスには首がなかった。

 初めて科学的に記載された角竜は、悪名高きジュディス・リバーJudith river層から1855年に産出した一本の歯であり、トラコドン・ミラビリスTrachodon mirabilisの第2標本とされた。それから17年後の1872年、ワイオミングのランス層で巨大な恐竜の化石が発見された。
 発掘の応援に駆け付けたコープは、植物化石に囲まれた骨格に大きな感銘を受けた。腸骨は当時知られていた恐竜のものよりずっと長かったのである。この恐竜が地球史上最大の陸生動物であることを確信したコープは、この骨格にアガタウマス(非常に驚くべきもの)の属名を、共産した植物化石にちなんでシルヴェストリス(森に住むもの―――シルバニアファミリーとかそこらと語源は同じ)の種小名を与えたのだった。
 「世界最大」の恐竜を記載したコープであったが、問題がひとつ残っていた。アガタウマスには頭骨が全く残っておらず、実のところどのような姿の恐竜だったのか、見当がつかなかったのである。従って、さすがのコープもこの時「アガタウマス科」を設立するようなことはしなかったのだった。
 
 この判断はやむを得なかったのだが、結果的にコープは泣きを見ることになった。1888年になってジュディス・リバー層で産出した角に基づき、マーシュは新属ケラトプスを命名するついでにケラトプス科を設立したのである。
 続々と発表されるマーシュのケラトプス科に関する論文を読んでアガタウマス(やモノクロニウス、ポリオナクス)が同じグループに属する恐竜であることを悟ったコープは慌てて「アガタウマス科」を設立したが、時すでに遅しだった。ケラトプスをモノクロニウスのジュニアシノニムにしたりトリケラトプスをポリオナクスのジュニアシノニムにしたりと頑張ったコープだったが、もはやどうにもならなかったのである(1893年にライデッカーがトリケラトプス・プロルススをアガタウマス属にしてみたりはしたが、その程度がやっとであった)。
 コープが1898年に亡くなると、アガタウマスの模式標本は他のコープコレクションと共にAMNHへと引き取られ、そこでAMNH 4000のナンバーを得た。

 「角竜の最初の発見」こそ逃したとはいえ勝利(?)をおさめたマーシュとゆかいな仲間たち(主にハッチャーとラル)であったが、アガタウマス・シルヴェストリスは一応有効な種であると考えていた。仙椎の特徴から、モノクロニウスとトリケラトプスの中間にあたると考えていたのである(一方で、やはり首なしであることについては問題視している)。
 とはいえ、その後の研究でアガタウマスは疑問名となってしまった。首なしゆえにトリケラトプスやトロサウルス、ネドケラトプスとの比較が困難であり、これらのシニアシノニムとすることもためらわれての結果である。

 さて、コープの図を元にアガタウマス・シルヴェストリスの骨格図をでっち上げた筆者であるが、なんだかんだトリケラトプスとは毛色が違うようにも思える。
 アガタウマスは明らかに亜成体(を通り越して大型幼体かもしれない。胴椎の癒合が進んでいないのはもちろんのこと、仙椎が完全にバラバラである)なのだが、レイモンド(亜成体ではあるが、アガタウマスよりはずっと成熟している)などと比べると、相対的にだいぶ腸骨が長いように見える(あくまでも私感である)。また、腸骨が腹側にカーブしていないらしい点もトリケラトプスとは異なっているように思える。

(もっとも、アガタウマスと同様の成長段階にあるトリケラトプス(の体骨格)の標本は記載されておらず、きちんとした比較はできない。腸骨が腹側にカーブしていない(側面から見た時に直線的)のも、地圧で変形した結果かもしれない。)

 なんだかんだ書いたが、結局のところアガタウマスの正体については謎である。頭骨が見つかっていない以上、本種の名前が有効名に返り咲くことはほぼありえないだろう。もっとも、既知の種の亜成体かどうかはっきりしないのも現状である。

(ところで、一般に「アガタウマスの復元図」として知られる有名なナイトの絵は、実のところアガタウマス・スフェノケラス―――モノクロニウス・スフェノケラスに基づくものである。当時知られていた角竜の要素が色々とごちゃ混ぜになってはいるが、1897年当時の角竜のイメージを知ることができる。)

ラエラプス、メガロサウルス、ドリプトサウルス

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↑Skeletal reconstruction of Dryptosaurus aquilunguis.
Based on ANSP 995 and AMNH 2438.
Scale bar is 1m.

 色々あって気の休まらない今日この頃で、エウへロプスの骨格図は仕込みだけしてほったらかしていたりする筆者である。さすがに丸1週間更新なしというのもアレなので、先日描き直したドリプトサウルスの骨格図でもネタに一発書きたい。

 アメリカにおける恐竜発掘の歴史は19世紀半ばにさかのぼることができる。もっとも、初期の発見はほとんどが単離した歯の化石に限られ、まともな骨格―――ヨーロッパに比肩するレベルの―――は、1858年のハドロサウルスの発見が初めてであった。
 さて、コープはハドロサウルスの発見以降、ニュージャージーの上部白亜系(いずれも海成層である)に興味を抱いた。ニュージャージーの上部白亜系は石灰質に富んだ泥岩(いわゆる泥灰岩)からなっており、石灰肥料の原料とすべく多数の採掘場が稼働していたのである。コープはまめに採掘場へ足を運び、作業員に何か化石を見つけたら知らせるように言って回ったのだった。

 1866年の早く、アメリカはニュージャージー州のあちこちでいつものように泥灰岩の採掘がおこなわれていた。その日、バーンズボロにあったウエスト・ジャージー泥灰岩(社)の採掘孔からいくつかの巨大な骨が見つかり、コープの元へ発見を知らせる手紙が届いた。しばらくしてコープは現場へ向かい、「メガロサウルスらしき恐竜の骨」に驚嘆したのだった。
 この発見に気をよくしたコープは、8月15日に父親あてに発見を知らせる手紙を書き、そして21日のフィラデルフィア科学アカデミーの定例の集会(毎週おこなわれていた)にて、この発見について発表した。その年のうちに発表は出版物としてまとめられ、ラエラプス・アクイルングイスLaelaps aquilunguis(鷲の爪をもつラエラプス(ギリシャ神話の猟犬))が世に生まれ出たのであった。

 ラエラプスの化石には頭骨の断片や部分的な四肢(後肢はかなり完全)、尾椎が含まれており、ハドロサウルスと並んで恐竜の2足歩行説の重要な証拠となった。ホーキンスとオーウェンによるクマとワニのキメラのような水晶宮のメガロサウルスのイメージで知られていた肉食恐竜は、この時から2足歩行のカンガルーめいた化け物へと姿を変えたのである。1868年にはラエラプスの復元骨格の製作も試みられ、ANSP 9995の複数のキャストが製作された。

(ホーキンスはニューヨークのセントラルパークに建設予定だった古生物博物館のためにハドロサウルスやラエラプスの復元骨格を制作していたのだが、すったもんだの末にラエラプスの復元骨格(写真が残っている)は失われてしまった。これとは別にスミソニアンにラエラプスのウォールマウントを展示する計画もあったのだが、こちらも頓挫している。復元骨格の制作のついでに量産されたANSP 9995のレプリカのうち一組はロンドンの自然史博物館に渡り、最近おこなわれた再記載で重要な役割を果たした。ドリプトサウルスの模式標本のうち第Ⅳ中足骨だけはANSPへ入らずコープの元に留まり、彼の死後AMNHの所蔵となってAMNH 2438となった。)

 コープの記載といえば、図なしの予察的な記載の悪名が高いのだが、ラエラプスの場合は違った。原記載の後も断続的に記載を発表し続け、結果、今日まで続く獣脚類の復元の基本形ができあがったのである(コープは自らラエラプスとエラスモサウルスの復元画を描いている。コープは「鷲の爪のような」大きな末節骨が足に属すると考えておいた)。この過程でコープはラエラプス属の新種L.マクロプスを命名し、獣脚類と鳥類の近縁性について指摘している。
 ところで、1868年にとあるコープの客がラエラプスの発掘現場を見学していた。彼はラエラプスに大きな興味を示し、作業員たちに対し化石発掘の一報はコープではなく自分に(こっそり)知らせるように頼んだ。この客こそマーシュであり、この一件は同時期に起きたエラスモサウルス事件(いわずもがな)と相まって、ボーンウォーズの狼煙となったのである。

 採集されたばかりのオルニトタルススを巡ってコープに敗れたマーシュだった(よりによってイェール大のコレクションをコープに命名されてしまった)のだが、ある時彼(ないし彼の部下)はラエラプスの属名がすでにトゲダニに先取されていることに気が付いた。かくしてマーシュは1877年の論文の脚注にて、さりげなく(しかし明らかに嬉々として)ラエラプスの属名をドリプトサウルスDryptosaurus(引き裂くトカゲ)へと変更したのである。
 一方、コープはこれを無視してその後もラエラプスの属名を使い続けた(有名な「戦うラエラプス」の復元画がコープ監修のもとチャールズ・ナイトによって描かれたのは1896年のことである)。ニュージャージーから遥か彼方のジュディス・リバーで発見された歯をラエラプス属の複数の新種として報告し、後にアルバートサウルス・サルコファグスの模式標本となる頭骨までラエラプス属としたのだった。

(筆者は不幸にしてダニの仲間について大した知識を持ち合わせてはいないのだが、どうもトゲダニLaelaps属は程々にメジャーであるらしい(トゲダニ科Laelapidaeが存在する)。コープにダニ分類に関する知識が皆無だったとも考えにくく、要するに自分の発見に舞い上がっていたということなのかもしれない。)

 さて、ラエラプス改めてドリプトサウルスが発見された当時、比較可能な程度に骨格の揃っていた獣脚類はメガロサウルスとその眷属に限られていた。従って、ドリプトサウルスがメガロサウルスと同じ科に含まれるのはある種当然であった。一方でマーシュは1890年にドリプトサウルス科を設立し、他の獣脚類のグループとは明確に区別したのだった。(一方、コープの教え子であったオズボーンは、1898年になぜかドリプトサウルス属をメガロサウルス属のシノニムとした。これがマーシュへのささやかな反抗だったのかはわからないが、1905年のティラノサウルスの記載の際にはドリプトサウルス属を普通に用いている。)

 その後のティラノサウルス類の発見でドリプトサウルスの影は薄くなり、アメリカ東部のよくわからない恐竜の代表の座に収まった。ヒューネによってやはりメガロサウルス科とされたり、馬鹿でかいコエルルス科(もっとも、当時のコエルルス科にはエラフロサウルスも含まれていたようだ)とされたり、散々な状況であった。
 その後ギルモアが1946年(死後)にドリプトサウルスとティラノサウルス科との類似について指摘し、1970年代になると同様の意見が相次いだ。ベアドと(きれいな)ホーナーは正式にドリプトサウルスをティラノサウルス科に含めたのである。
 一方で、やはりドリプトサウルスとティラノサウルス科との間には形態的な隔たりがいくつもみられ、ドリプトサウルスをティラノサウルス科から外す意見も根強かった。ドリプトサウルスとティラノサウルス科の間に共通する特徴が少なからず存在することは誰もが認めるところではあったのだが、それ以上踏み込んだ考察は難しかったのである。

(ところで、ベアドとホーナーの説の根拠となっていたのはノースカロライナ産の大腿骨であった。これはアルバートサウルスのものと酷似していたのだが、ドリプトサウルスのものかどうかは極めて怪しい。モルナーはLACM 23845(のちのディノティラヌス)の記載の際に、ベアドとホーナーの説に影響されてLACM 23845がドリプトサウルス属の標本である可能性を真剣に検討している。90年代にはドリプトサウルスをマニラプトル類とみなす意見さえあり、もはや訳が分からない。)

 結局、ドリプトサウルスのはっきりした系統関係は21世紀になるまで不明のままだった。アジアやヨーロッパから(比較的状態のよい)基盤的なティラノサウルス上科の化石が発見されるに至り、ようやくドリプトサウルスの系統関係について(大ざっぱな)コンセンサスが得られるようになったのである。
 今日、ドリプトサウルスは基盤的なティラノサウルス上科のグループとティラノサウルスの「中間」に位置付けられている。ドリプトサウルスと断定できる標本は依然として模式標本に限られておりしっかりした復元は難しいのだが、系統解析の結果などに従うと、肉付けしてしまえばティラノサウルス科の基盤的なものとそう差はないようだ。比較的細身であるらしい頭部と、短めの腕に大きな手の組み合わせはナノティラヌスとも一見似ているように思える。

 ドリプトサウルスの生息していた時期は、驚くべきことにマーストリヒチアンの後期―――恐竜時代のクライマックスである。当時すでにアパラチアとララミディアの間にあった西部内陸海路(WIS)は消滅していたのだが、旧アパラチア側では未だにかなり原始的なティラノサウルスの仲間がのさばっていたということらしい。
 ドリプトサウルスの発見から来年で150年になろうとしているが、未だにドリプトサウルスとそれを取り巻く恐竜たちの姿は見えてこない。しかし、白亜紀最末期のニュージャージーに広がっていた暖かい海のそばで、ドリプトサウルスがハドロサウルス類を追いかけ回していたのは多分確かだろう。

オストロムのトリケラトプス

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↑Skeletal reconstruction of Triceratops "brevicornus" BSP 1964 I 458
(formerly YPM 1834). 
Scale bar is 1m.

 北海道の山奥へ行っていたり別件で参っていたりしてかれこれ2週間近くほったらかし(な上にまともな仕込みができていない)なわけである。9月の下旬まではこんな調子でろくに更新ができなさそうなのだが、そういうわけなので安心してほしい。

 さて、オストロムと言えば、世間(?)的にはデイノニクスをはじめとするクロヴァリーCloverly層の恐竜や始祖鳥の研究で有名である。デイノニクスの記載をおこなったせいかどうも獣脚類専門のようなイメージが付きまとっているような気もする(気のせい)が、実のところ角竜に関しても極めて重要な研究をいくつかおこなっている。
 読者のみなさまは、昨年の春に開催された角竜展の要所要所で、角竜の摂食器官について展示解説が割かれていたことを覚えていらっしゃるだろうか?角竜の爆発的な繁栄にその優れた摂食器官が果たしていた役割は非常に大きかったと考えられているのだが、そこに早くから着目していたのがオストロムである。
 オストロムが当時(1960年代前半)勤めていたイェール大学ピーボディ博物館(YPM)には、マーシュ(というかハッチャー)の誇った膨大な角竜―――ほとんどがトリケラトプス―――のコレクションがあった。トリケラトプスの顎の機能形態学的な研究を思い立ったオストロムが目を付けたのが、YPM 1834―――トリケラトプス・ブレヴィコルヌスだった。

 YPM所蔵の他のトリケラトプスと同様、YPM 1834の歴史は古い。1891年の春に当時ハッチャーの助手であったアターバックによってワイオミングのランス層にて発見されたのが発端である。その年の夏にハッチャー一行によって採集され、YPMへと送られた。
 YPM 1834はほぼ完全な頭骨とそれに続く頸椎・胴椎、そしていくつかの肋骨からなっていた。当時知られていたトリケラトプスの標本としては断トツの完全度(手足はごっそり欠けているが)だったのだがクリーニングは難航し、ようやく終了した直後(1899年)にマーシュは亡くなってしまったのである。
 かくしてYPM 1834の記載はハッチャーに託され、彼は1905年に本標本をホロタイプとしてトリケラトプス・ブレヴィコルヌスTriceratops brevicornus(短い角のトリケラトプス)を命名したのであった。

 そんなこんなでオストロムによるYPM 1834などの研究によってトリケラトプス(ひいてはケラトプス科角竜全体)の顎の機能が明らかになったのだが、その裏でYPM 1834にある重大な話が持ち上がっていた。
 1926年以降YPM 1834の頭骨はYPMの常設展示として他のトリケラトプスやトロサウルスの頭骨と並べて展示されていたのだが、その後の改装で常設展示からは外されていた。こうして収蔵庫住まいになっていたYPM 1834を、ミュンヘンからの客―――バイエルン古生物学・地質学史博物館の館長―――が見初めたのである。かくして交渉の末、YPM 1834は生まれて初めて海を渡り、BSP 1964 I 458として常設展示に復帰したのだった

 それからしばらくが経過し、BSP 1964 I 458の再記載が試みられることとなった。相変わらずトリケラトプスの首から後ろの骨格はロクに発見されないままで、頸椎と胴椎のよく揃ったBSP 1964 I 458は依然として重要な標本のままだったのである(ハッチャーも頸椎と胴椎について一応記載していたのだが、それほど詳細なものではなかった)。さらに、トリケラトプス属の種が乱立しているといった問題もあった。
 こうした事情のため(さらに言えば、YPM 1834のナンバーが変わったことを周知させなければならないという事情もあった)、オストロムと(当時ミュンヘン勤めだった)ヴェルンホーファーが共同で研究にあたることになったのである。

 こうして、1986年にトリケラトプス・”ブレヴィコルヌス”の再記載が出版された。頭骨だけに留まらず椎骨や肋骨についても詳細な記載がおこなわれ、さらにトリケラトプス属をT.ホリドゥス1種に整理するという大ナタも振るわれた。トリケラトプス属を1種にまとめるという考え方はその後の角竜の(属内の)分類に大きな影響を与え、今日に至っている。

(もっとも、今日ではトリケラトプス属にT.ホリドゥスとT.プロルススの2種を認めることが一般的である。T.ブレヴィコルヌスはT.プロルススのシノニムとされている。)

 結局、(よく揃った)椎骨について詳細に記載されたトリケラトプスは現在に至るまでBSP 1964 I 458のみとなっている。オストロムらの記載とは椎骨のカウントもナンバーの割り当ても変わって久しいのだが、それでもなお彼らの論文は唯一無二の存在となっている。
 BSP 1964 I 458は今日でも、バイエルン博物館で来場者を迎えているようだ。もっともよく記載されたトリケラトプスのひとつであり、同時に「小さな成体」でもある本標本は、今後も色々と我々に語ってくれることだろう。

HMMマリンカイザーの復活についての喜びその他をgdgdと

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↑通りすがりのカラウルを鎌で脅迫しHMMマリンカイザー購入を強要するゼロス

 筆者を絶望の淵へ追いやったマリンカイザーショック(絶望の淵から救ったのはウェンディケラトプスだった)だが、先日のWF夏にてちらと朗報が流れ、キャラホビ2015にてHMMマリンカイザーのリリース復活が発表されたわけである。ありがとうZナイト。

 さて、マリンカイザーといえばZ・A計画で最初に開発されたゾイドアーマーなわけで(そのくせいきなり水陸両用機を作ってくるあたり、地球人の謎の趣味がうかがえる)、水際での戦いは最強らしい。不幸にしてアニメでは水際での戦闘シーンはなく、あげくクレタ島でストライカーに手玉に取られかけるといった具合であり、学年誌やら箱裏の解説と相まってかませ犬めいた雰囲気が漂っているのが少々かわいそうでもある。
 マリンカイザーはバイキングモチーフということで、オリジナルの1/72キットのプロポーションでも違和感はない。そのあたりHMMでどう料理されるか見もの(Zナイトはオリジナルの開発画稿以上にシェイプアップされた)だったのだが、恐ろしくカッコよくなった(それだけに発売中止の報は心を抉ったのだが)。プロポーションではっきりZナイトと差別化されたぶん、互いのキャラクター付けが際立ったともいえる。とにかく、これでかませ犬めいた雰囲気は払拭されただろう。多分。

 で、こうなってくると問題はマリンカイザーの「次」である。出るかどうかは売上やら大人の事情やらのもろもろが絡んでくるが、とりあえずマリンカイザーに続くHMMZナイトシリーズ第三弾にも期待したい。
 HMMZナイトシリーズは1/100なので、今までのキットのフォーマットからすると、いわゆる18センチクラスの機体のリリースがしやすそうである。オリジナルの玩具だと、Zナイト→マリンカイザー→ギルガ→グレートZナイト(→ゼロス、ガイム)の順に発売されており、その流れで行くとやはりギルガのキット化が順当だろうか。あるいは、Zナイトの金型流用(フレームはそのまま使えそうだ)でグレートZナイトというのも大いに有り得るだろう。ゼロスやガイム、フレイムソルにイーグルヘッドはだいぶお預けを食らいそうだ。

 マリンカイザーの供養を兼ねてZナイトの改造でゼロス(めいたなにか)をスクラッチした筆者だったが、実のところHMMZナイトは改造のベースとして極めて優秀であった。さすがにフレームアーキテクトのようにはいかないが、一回り大きな可動素体として何かしらには使えるキットである。マリンカイザーもおそらく基本構造はZナイトと同様だろうから、貴重な「太め」のフレームとしての活用もありだろう。

 結局のところ、この手のやつは「買わないと出ない」のが真理である。欲しかったら発売を信じて(優先順位が低い商品だろうと)買うか、あるいは自作するかの二択しかない。吐血しながらマラソンしているような気もするのだが、この手の趣味はそういうものなのだろう。そういうわけで、HMMデススティンガーとMPシールドライガーとHMMマリンカイザーの発売時期が重なっているのだが、一念発起して全て予約済みの筆者であった。

(で、ゼロスを作る際に調子こいて他のバトルアーマーも作ろうと大量のレイバーやらハイモックやらフレームアーキテクトを部屋の片隅に積み上げている筆者でもある。夏休みのうちにスカルバイパーでも作ろうと思っていたのだが、年内にできあがればいい方だろう、うん)

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 ペンタケラトプスといえば、わりあいに昔から恐竜図鑑の角竜のページを飾っていた。ここ4、5年で激増した角竜(特にケラトプス科)だが、このあたりの「古典派」はやはり落ち着くものである。
 もっとも「古典派」とはいうものの、ペンタケラトプスはトリケラトプスやトロサウルスと比べればずっと後になって発見された恐竜である。ペンタケラトプスが発見された1920年代―――暗黒時代までもうすぐ―――、すでにトリケラトプスやトロサウルスはよく知られた恐竜だった。

 さて、ペンタケラトプスと言えば外せないのがチャールズ・ヘイゼリアス・スターンバーグである(なんといってもペンタケラトプスの模式種には彼の名が入っている)。ご存じスターンバーグ一家(親父のチャールズ・ヘイゼリアスと息子のチャールズ・モートラム、ジョージそしてレヴィ)は化石ハンターとしてすでに伝説となっており、彼らの“獲物”はアメリカ、カナダ、そしてヨーロッパ各地の博物館の目玉となっていた。
 1921年、カリフォルニアで暮らしていたチャールズ・ヘイゼリアス(すでに71歳)は、スウェーデンからの仕事―――本ブログではおなじみカール・ワイマンからの依頼―――を請け負った。ランス層そしてヘル・クリーク層から脊椎動物化石を採集するのである。が、なぜか彼はそちらへ足を運ぶことはせず(どうも内務長官からもろもろの許可が下りなかったもよう)、ニューメキシコのサン・フアン盆地へと向かったのだった。
 それから3シーズン(~1923年)以上に渡って彼は採集を続け、最初の年から大当たりを出した。潰れているもののほぼ完全な未知の角竜の頭骨と、頭蓋を欠くもののほぼ完全な角竜の骨格である。その後も彼はパラサウロロフス2種や角竜の頭骨を掘り当て続け、スウェーデンのウプサラ大学(PMU)、ニューヨークのアメリカ自然史博物館(AMNH)、そしてシカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)へ多数の標本を提供したのだった。

 最初の年(1921年)に採集された角竜の頭骨と骨格はウプサラ大へと送られたのだが、翌年以降に採集された角竜の化石はオズボーン率いるAMNHへと売却された。オズボーンはスターンバーグのためにAMNHから人員(ムックとカイセン)を送る念の入れようで、結果的に複数の頭骨と体骨格の一部がAMNHへと運び込まれたのである。
 オズボーンはさっさとクリーニングを済ませ、とりあえず保存のよかったAMNH 6325の頭骨だけを記載することにした。ペンタケラトプス・スターンバーギPentaceratops sternbergiの誕生である。

(なお、AMNH 6325には体部も含まれていたのだが、案の定記載されずじまいである。原記載時の種小名の綴りはsternbergiiだったが、現在ではふつうsternbergiが用いられる。)

 一方、これに先を越されたのがワイマンであった。頭骨PMU R200と首なしの骨格PMU R268のクリーニングが終わり、オズボーンに遅れること7年、ようやくペンタケラトプスの記載にこぎつけたのである。PMU R200とPMU R268双方を模式標本として、ペンタケラトプス・フェネストラトゥスPentaceratops fenestratusを命名したのであった。

 PMU R268は頭蓋と肋骨、手足を欠いていたものの、それ以外はほぼ完全な状態にあった、一方のPMU R200は潰れているものの頭蓋の大部分が保存されており、これらを組み合わせることでほぼ全身が復元可能であった。かくしてウプサラ大はPMU R268にR200を元に作った模型(これの出来が悲惨である)を載せ、ペンタケラトプスの復元骨格を組み上げた。
 実のところPMU R268にはPMU R200と重複する部位が保存されておらず、同じ種(さらに言えば同じ属)かは微妙であった。ただ、両者ともカートランドKirtland層からの産出であり、産地も近かったことから同じ種であると考えられたのである。

 かくしてケラトプス科角竜の中でも有数の完全度となったペンタケラトプスだったが、P.スターンバーギ、P.フェネストラトゥスともに模式標本の頭頂骨の保存が悪く、フリルの装飾の実態は不明であった。
 スターンバーグがAMNHに送った標本の中には完全なフリル(AMNH 1625)もあったのだが記載されず、結果としてその後しばらくペンタケラトプスのフリルの形態は(一般向けには)知られることがなかった。ラルによる角竜のモノグラフ中における再記載(1933年)でさりげなく正確なフリルの復元が示されたもののこれはあまり顧みられず、ふた昔前の図鑑でさえ「派手なトロサウルス」ふうの復元がよく見られる有様である(フリルの装飾が適当なものは未だにあったりなかったり)。

 その後もペンタケラトプスの化石はちょくちょく発見され、ひっそりとP.フェネストラトゥスはP.オズボーニのシノニムとなった。フリルのよく保存された頭骨も記載され、正確な頭骨の復元も可能になった(個体間で頭骨(や成体のサイズ)にかなり差があることも示された。鼻角の長さや縁鱗状骨の数は個体によってまちまちであるらしい)。
 また、頭部と体部の双方を含む標本もいくつか発見され、PMU R268がペンタケラトプスの骨格であることも(初めて)確認された。とてつもなくデカい頭骨と骨格も発見されたが、こちらは数奇な運命を(現在進行形で)辿ることとなった
 こうした発見の末、ペンタケラトプスは「南方系」の角竜であると考えられるようになった。北米西部(ララミディア)の南北で産出する恐竜化石に違いがあることは割と古くから知られていたのだが、ペンタケラトプス(属)はララミディア南部(ニューメキシコ)に特有だったのである。かくして、ペンタケラトプスはララミディア南部の環境に適応できた数少ない角竜であると解釈されるようになった。

 そんなこんなで再記載もされてめでたしめでたし・・・だったのだが、最近になって思わぬ発見があった。「ニューメキシコ限定」(さらに言えばフルーツランドFruitland層上部とそれに続くカートランド層(カンパニアン後期;7550万~7300万年前)限定)だったペンタケラトプスが、ほかの州からも発見されたのである。
 コロラドのウィリアムズ・フォークWilliams Fork層から産出したSDMNH 43470はかなり小さな頭骨で、明らかに亜成体(ないし幼体)である。成熟しきっていないこともあって当初は不定のカスモサウルス類(ペンタケラトプスとアグヤケラトプスに近縁)とされたが、のちに踏み込んでP.スターンバーギとされた。

 コロラドからペンタケラトプスが産出することにさほど驚きはない(実際の距離はともかくとしても、隣の州である。ララミディア南部と北部の境界と言えばそうでもある)が、最近になってアルバータのダイナソー・パーク層からもペンタケラトプス属(2標本)が報告された。どちらも長らくアンキケラトプス sp.とされていたのだが、複数の研究者からペンタケラトプス/ユタケラトプスとの類似性が指摘されるようになっていたのである。
 いかんせんフリルの断片がふたつだけ(組み合わせたところで上の図の通りである)なのだが、「南方系」とされていた眷属(P.スターンバーギもユタケラトプスもララミディア南部)がララミディア北部で見つかった点は重要だった。かくして、半ば無理やりペンタケラトプス属の新種(P.アクイロニウス)が命名された。また、ウィリアムズ・フォーク層の標本もP.スターンバーギではなくP.アクイロニウスに属する可能性が指摘されるようになった。

(もっとも、P.アクイロニウスがペンタケラトプス属である可能性はかなり微妙である。もっと状態のよい標本が見つかれば新属になる可能性は大いに有り得るだろう。また、未記載ではあるものの、モンタナ産のcf.ケラトプスとされている頭骨(Judith)は明らかに「ペンタケラトプス類」であり、ララミディア北部で「ペンタケラトプス類」が稀な存在だったというわけでもなさそうである。)

 命名から90年以上が過ぎたが、今なおペンタケラトプスは「南方系」の角竜としてはもっともよく記載されたものであり続けている。ここ数年で賑やかになった「南方系」だが、やはり元祖は強い。ペンタケラトプスは今後も恐竜図鑑の角竜のページを飾り続けることになりそうである。
 

アヴァケラトプス覚え書き

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 マイナー恐竜もいいとこのアヴァケラトプスだが、ここにきてにわかに注目度が高まっている(そんなこともない)。かねてよりロッキー山脈恐竜資源センター(というと大仰だが、つまるところトリーボールド社の発掘・展示部門である)が復元を進めてきたモンタナ州のジュディス・リバーJudith river層産角竜の化石が、近く「新種」として発表されるという。この化石は、従来アヴァケラトプスの新標本とされていた。

 アヴァケラトプスの模式標本ANSP 15800はモンタナのジュディス・リバー層にて1981年に採集され(採集者の営む化石屋の店頭に並んだりの紆余曲折を経て)、1986年にアヴァケラトプス・ラマーシAvaceratops lammersiとして記載された。
 ANSP 15800は幼体の骨格の大部分からなっており、フリルに「窓」がみられないらしいことが大きな特徴とされていた。頭蓋天井が残っていなかったため上眼窩角や鼻角の形態は不明であったが、1991年になって成体のものらしい新標本MOR 692が発見され、やや長い上眼窩角をもっていることが明らかとなった。
 系統関係はもめにもめたが、最近になって(アルバータケラトプスなどの記載を背景として)基盤的なセントロサウルス類ということで決着している。また、近年の系統解析ではナストケラトプスと姉妹群をなす可能性が指摘されており、鼻角が存在しなかった可能性が浮上している。

 さて、今回問題となっている標本(通称"Ava")は骨格の大部分が保存されており、ジュディス・リバー層産の角竜としては非常に優れた標本である(右腸骨に皮膚痕もみられる)。頭骨も頭頂骨を除いてほぼ完全であり(上図では変形のひどかった前上顎骨は灰色で示してあるが、一応発見されてはいる)、全身骨格の復元に先行してお披露目されている。
 "Ava"の椎骨は癒合が進んでおらず、従って明らかに"Ava"は未成熟の個体である。鱗状骨から(?)分離した縁後頭骨もいくつか採集されており、このあたりも非常に貴重である。
 採集したトリーボールド側は鱗状骨の特徴から当初"Ava"をアヴァケラトプスであると認識しており(愛称もそのまんまなのだろう)、これまでそのように扱われてきた。が、気が付けばサイトにおける「商品名」には新種が謳われており、今回の結果となったわけである。(なお、言うまでもないがサイトの産地表記は間違いである。サウスダコタのハーディング郡(しかもヘルクリーク層)なはずはない)

 具体的に既知のアヴァケラトプス2標本と"Ava"はどう違うのだろう?恐らく今後論文が出版されるのだろうが(某社とは違ってトリーボールドはわりあい研究にも積極的である。わりあい、だが)、筆者としては前上顎骨と鼻骨の関節が気になるところである。
 側面から見る限り、ANSP 15800とMOR 692は「前上顎骨が鼻骨に食い込む」ようである。一方、復元された"Ava"では、「鼻骨が前上顎骨に食い込む」ように見える。また、眼窩の位置もわりあい違う("Ava"の眼窩はかなりナストケラトプスめいている)ようにみえ、このあたりも気になる。

 果たしてこの違いが有意なのか(そもそも違うのか)は現時点では知る由もない。ただ、"Ava"がA. lammersiかというとかなり微妙な気はする(とはいえ、かなり近縁なのは間違いないだろう。アヴァケラトプス―"Ava"―ナストケラトプスで単系統をなすのかもしれない)。
 とにかく今は、ジュディス・リバー層ではかなり珍しい「まとも」な角竜を歓迎するだけである。

(ジュディス・リバー層産角竜のどうしようもない感じについては散々本ブログで書き散らかしてきたとおりである。"Ava"についてはぜひともがっつり記載してほしいところ)

◆追記◆
 RMDRCのブログにて詳報が出ている。いわく、本種はジュディス・リバー層の最上部近くからの産出であり、年代から見てもA. lammersiとは考えない方がいいらしい。今後の研究が非常に楽しみである。

ワイマンの落とし物

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↑Skeletal reconstruction of Euhelopus zdanskyi.
Based on exemplar a, b, c, and scaled as exemplar a and c.
Scale bar is 1m.

 カール・ワイマンと言えば本ブログではとっくのとうにおなじみの、ウプサラ大学の古生物学者である。中国産の恐竜を初めて研究した古生物学者のひとりであり、彼の記載した標本は今なお重要なものばかりである。
 一般に(?)ワイマンの記載した恐竜といえば、エウへロプスが筆頭格である。エウへロプスの最初の標本の発見から実に100年以上が過ぎたが、未だに中国ひいてはアジアで最も優れた化石記録の残っている竜脚類であり続けている。
 
 エウへロプスの最初の標本が発見されたのは1913年のことだった。山東で活動していた宣教師のメルテンスが部分的な骨格(Exemplar b;PMU R234、のちのPMU 24706)を発見したのである。化石はその後しばらく放置されたが、1923年になってアンダーソン、ツダンスキー、そして譚錫畴らに率いられた地質調査隊がこれを採集することになった。
 一行はExemplar b(関節した後位胴椎と仙椎、肋骨少々、腰帯、ほぼ完全な後肢)を採集したのちも周辺の調査を続け、そこから数キロ離れた場所で素晴らしい竜脚類の化石と出くわした。この標本(Exemplar a;PMU R233、のちのPMU 24705)にはかなり完全な頭骨と関節した頸椎~前位胴椎、肋骨1本、大腿骨が含まれていた。
 Exemplar aにはまだまだ他の骨も含まれていたのだが、発掘技術の未熟さやら何やらでいくらか失われた(とツダンスキーらは判断した)。一連の調査で採集された化石はワイマンの待つウプサラ大学へと送られ、そこでクリーニングされたのちに記載されることとなった。

 かくして、ワイマンはExemplar aとExemplar bに基づき、1929年にアジア初となる竜脚類ヘロプス・ツダンスキイHelopus zdanskyiを命名した。椎骨の特徴からExemplar aとbは同じ種に属するものとみなされ(産出したのも同じ蒙陰Mengyin層(白亜紀前期バレミアン、1億2900万~1億1300万年前)だった)、両者を合体させることでかなり完全な復元が可能となった。
 ワイマンは本種の「かんじきのような足」に注目し、これを水中生活への適応(水底の泥の上で体重を支える)とみなした(属名―――沼地の足の意―――はこれにちなんでいる)。頭骨はカマラサウルス類に、椎骨はケティオサウリスクスとブラキオサウルス(どちらも当時はケティオサウルス類とされていた)に似ていたためにワイマンはヘロプスを既知の科に分類するのをためらい、ヘロプス科を新設したのだった。
 1934年になって、C.C.ヤングこと楊鍾健らがExemplar aの発掘地点を訪れ、竜脚類の部分骨格(Exemplar c;関節した胴椎3つ、完全な肩帯と上腕骨)を採集した。状況からしてExemplar cはExemplar aの「掘り残し」であり(事実、Exemplar cの関節した胴椎はExemplar aの胴椎列の欠けた部分と一致した)、ここにヘロプスの主要な標本が揃ったのである。

 その後中国では竜脚類の発見が相次いだが、相変わらずヘロプスを凌ぐものは見つからなかった。そうこうしているうちにヘロプスの属名がアジサシの仲間に先取されていることが発覚し、ローマ―によってエウへロプスEuhelopusに改名された。
 ヘロプス改めエウへロプスの頭骨は相変わらず素晴らしい保存状態であり、その後も度々研究がおこなわれた。研究の度にエウへロプスの系統的な位置付けはコロコロ変わったものの(蒙陰層の年代がはっきりしなかったのも一因であった)、90年代の半ばには対立する2つの仮説―――基盤的な真竜脚類(アップチャーチの説)と、ティタノサウリアの姉妹群(セレノ、ウィルソンによる説)―――に落ち着いた。最終的にはウィルソンとアップチャーチの共同研究によって、ティタノサウリアの姉妹群ということでコンセンサスを得、現在に至っている。

 そんなこんなで一件落着となったエウへロプスは、現在ではエウへロプス科という安住の地(?)を得て、ソンフォスポンディリ―ティタノサウルス形類として確固たる地位を築いている。エウへロプス科にはアジア産の様々な竜脚類が分類されるようになって久しく、だいぶ賑やかなグループとなった。
 肝心の復元骨格がないままだったエウへロプス(ウプサラ大の展示は、純骨を大胆にもそのまま組み上げた「だけ」であった)だったが、今年の夏にようやくチャンスが巡ってきた。Exemplar aとExemplar bのレプリカにExemplar cの「模型」を組み合わせ、エウへロプスは幕張でひっそりと息を吹き返したのだった。

(ところで、メガ恐竜展の図録でも触れられているとおり、Exemplar aおよびcとExemplar bとではややサイズが異なる。比較できる椎骨はExemplar a・cの方が若干長いのだが、一方で大腿骨はExemplar bの方が細長い(分類上有意な違いではないだろう)。実のところ、そのまま合体させても別に違和感はない程度の差ではある。筆者の描いた骨格図ではExemplar aにサイズを統一しており、従ってExemplar bと比べると相対的に後肢が若干短くなっていることになる。なお、今回Sさんに多くの資料提供を頂きました。この場を借りて御礼申し上げます。

モザイケラトプス・アズマイMosaiceratops azumai

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イメージ 1Mosaiceratops azumai ZMNH M8856 (holotype).
Left lateral view of skull (a), right lateral view of skull (b),
and skeletal reconstruction (c).
Scale bar is 10cm.
Modified from Zheng et al. (2015)

 懸案事項は星の彼方に吹き飛ばした筆者であるが、レポートを書かなければならなかったりなんだりで仕込みがさっぱりである(一応次回はタルボサウルスを予定)。とはいえ、降ってわいた新属新種の角竜である。取り上げないわけにはいかないだろう。

 モザイケラトプス・アズマイが産出したのは中国は河南、Xiaguan層(もともと桑坪Sangping層のいち部層だったらしい。漢字がわからぬ・・・)である。年代が定まっていないようで「白亜紀後期のいつか(チューロニアン前期ないし中期~カンパニアン中期)」と恐ろしく年代の幅が広い。一応同じ地層からナンヤンゴサウルスNanyangosaurusも出ているのだが、年代を知る手助けにはなりそうもない(基盤的なハドロサウルス上科の恐竜はなんだかんだマーストリヒチアンまでぴんぴんしているのだ)。
 年代の話は現状どうしようもないのでさておき、本種はかわいらしい(多分)小型の角竜である。ほぼ完全な頭骨を含む部分的に関節した骨格が知られており、とりあえずアーケオケラトプスに全体として似ているように見える。

 全体的に見ればありがちな基盤的ネオケラトプス類であるモザイケラトプスであったが、本種のキモはモザイク的に見られるプシッタコサウルスと共通の特徴である(風変わりな属名はここから来ている。種小名がアーケオケラトプスの記載者のひとりにしてFPDM特別館長の東せんせーに献名しているのは言うまでもない)。
 モザイケラトプスとプシッタコサウルスとで共通する(他の基盤的ネオケラトプス類にはない)特徴のうちわかりやすいものと言えば、相対的に高い位置にある鼻孔や大きくて歯のない前上顎骨といったところである(下図の頭骨図参照)。

イメージ 2
Zheng et al. (2015)による系統解析の結果

 系統解析の結果、モザイケラトプスは最も基盤的なネオケラトプス類とされた。プシッタコサウルス、およびそれともっとも近縁なネオケラトプス類である本種が前上顎骨歯をもたないことは、他の基盤的ネオケラトプス類にみられる前上顎骨歯が一度失われたのち再進化したものである可能性を示唆している。
 モザイケラトプスは、これまでかなり特殊化した角竜とみなされていたプシッタコサウルスと、基盤的なネオケラトプス類との形態的ギャップをある程度埋めるものである(プシッタコサウルスが特殊化した角竜であるのは間違いないだろうが)。本種の発見が、謎に包まれていたプシッタコサウルスの起源に一筋の光を投げかけているのは確かである。

ウーグルーナールクUgrunaaluk、あるいは“アラスカのエドモントサウルス”

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↑Composite skull reconstruction of Ugrunaaluk kuukpikensis

  次回はタルボサウルスなどと抜かしていた筆者だが、またしても新種である。モザイケラトプスのように降ってわいた新種ではないのだが、実のところいずれ(未命名のうちに)取り上げようと思っていたものだったりする。というわけで、今回はウーグルーナールク・クークピケンシスUgrunaaluk kuukpikensisを取り上げたい。

 そこはかとなく宇宙的恐怖を感じさせる(そんなことはない)属名だが、これはイヌピアト語である(古のグレーザー、という洒落た名前である)。舌を噛みそうな種小名もイヌピアト語由来(産地であるコルヴィル川を指す)である。
 こういうわけでかなり耳慣れない学名が付いたわけだが、何を隠そう本種はいわゆる“アラスカ産エドモントサウルス”である。アラスカ北部のプリンス・クリークPrince Creek層(マーストリヒチアン前期:6920万年前)で、1990年代から大規模なボーンベッド(ほとんどが幼体からなる)が知られていた。

 当初はランベオサウルス類とされたこれらの化石だったが、その後エドモントサウルス属とされ、踏み込んでE. レガリスとする意見もあった。とはいえ、ボーンベッドから産出した化石のほとんどが幼体だったため、分類に関して突っ込んだ話は難しい状況だったのである。
 ところで、エドモントサウルス属の2種、なかでもマーストリヒチアン後期のE.アネクテンスは、複数の幼体の標本が知られている。したがって、既知種に分類できるエドモントサウルス属の幼体と、“アラスカ産エドモントサウルス”(の幼体)を比較することが可能だった。かくして詳細な比較がおこなわれ、一昨年の時点で“アラスカ産エドモントサウルス”がエドモントサウルス属と近縁な新種であることが判明していたのである(もっとも、この時点では一応エドモントサウルス属の触れ込みだった)。

 かくして新属(寝耳に水だった)となったウーグルーナールクだが、現時点では上図の通り幼体の頭骨くらいしか復元のしようがない。もっとも、全体としてエドモントサウルスによく似ていたのは確かだろう。
 頭骨もかなりエドモントサウルス属の幼体と似ているようである。パッと見てわかる違いといえば、後眼窩骨の頬骨突起(頬骨と関節する突起)に"「ポケット」がなくかなり細いこと(側面図では「ポケット」の有無はわからないが)、頬骨がきゃしゃであること、歯骨の歯列より前の部分が短いことだろうか。
 特に後眼窩骨に「ポケット」が存在しない点は重要である。エドモントサウルス族で「ポケット」がみられるのは目下E.レガリスとE.アネクテンスのみであり(この特徴は成長段階で変化しない)、「ポケット」の存在はエドモントサウルスを特徴づけているのだ。

 ウーグルーナールクはかなり地味なハドロサウルス類である(らしい)。が、マーストリヒチアン前期のアラスカにエドモントサウルス属(絶妙にこの時期化石記録が途絶えているが、少なくともカナダの南西部にはいたはずである)とは異なる属のサウロロフス亜科ハドロサウルス類が存在したという点で重要である。
 プリンス・クリーク層からは、ほかに未命名のオロドロメウス類やアラスカケファレ、パキリノサウルス・ペロトルム(現状では最後のセントロサウルス類である)、ナヌークサウルス、未命名のトロオドン類(南の種と比べて異様に大きい)が知られているが、いずれも同時期のより南の近縁種とはかなり異なっている。このことは、マーストリヒチアン前期の北極圏(今と比べればずっと暖かいが、それでも極圏なので日照などはものすごいことになる)に、より南の地域とは異なる独自の恐竜相が広がっていたことを示している。

アパラチアの角竜

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Black Creek ceratopsian, YPM-PU 24964, left maxilla. 
A, medial, B, ventral, C, lateral, D, dorsal view. 

 さんざんアパラチアの恐竜について取り上げてきた本ブログであるが、こういうネタにはやはり飛びつかざるを得ない。角竜不毛地帯であったアパラチアから、レプトケラトプス類らしき化石が発見された。

 問題の化石(YPM-PU 24964;たぶんPUは省略して問題ない)が産出したのは、ノースカロナイナのブラック・クリークBlack Creek層群(従来は層だったのだが、最近格上げされていたもよう)のター・ヒールTar Heer層(カンパニアン前期~中期)である。別に新発見というわけではなく、不定のハドロサウルス類と同定され、しばらく収蔵庫で埃をかぶっていた代物である。
 肝心の標本はごく断片的な代物である。左上顎骨の後端部だけであり、ハドロサウルス類と同定されても仕方のないような状態ではある。が、歯列が外側に向かって「くの字」に折れ曲がるという特徴(上図のBを参照)はレプトケラトプス科特有だという。

 しょせんは上顎骨の破片(ぱっと見るかぎりではあまり状態も良くない)だけであり、分類についてもレプトケラトプス科であるという以上の話は難しい(レプトケラトプス科であるならば、かなり特殊化している可能性があるらしいが)。が、アパラチアで角竜、しかもレプトケラトプス類が見つかったという事実は大きな意味をもっている。
 かえすがえす、今回の「発見」は恐ろしく貧弱な化石に基づいている。とはいえ、従来アパラチアから知られていなかったグループが忽然と姿を現した衝撃は大きい。カンパニアンのヨーロッパにはすでにレプトケラトプス類が存在しており、あるいはララミディア経由ではなく、ヨーロッパからヌナブトを経由してアパラチアに渡ってきた可能性も少なからず存在する。アパラチア大陸の姿は、アパラチア初の恐竜化石が発見されて150年以上が過ぎた現在も闇の中である。

特別展「南アジアの恐竜時代」レポ

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 もう2週間弱で終わってしまう福井県立恐竜博物館の開館15周年特別展「南アジアの恐竜時代」に、遅まきながら行ってきたわけである。とっくに行かれた方が多いと思うのだが、適当にレポート記事を書いておきたい。なお、ディノプレスvol.1とvol.3あたりも参考になるだろう。

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 恐竜時代とは言いつつも、最初に出迎えてくれるのはラオス産のディキノドン(sp.)である。写真はひどいが実物はなかなか綺麗(キャスト)である。いわゆる「第三の眼」も上から見るとよくわかる。

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 中国は貴州省産のミクソサウルス(実物;全身はうまく撮れんかった・・・)は2匹の胎児(生まれかけ?)を抱えている。さすがに海生爬虫類の名産地だけはあるといった保存状態である。

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 怖いくらいによく保存された雲南省産ノトサウルス(実物)。

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 同じく雲南省産のマクロクネムス(実物)。ノトサウルスほどではないが、やはり素晴らしい保存状態である。

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 タイといったらやはり忘れてはいけないイサノサウルス(実物)。棘突起がかなり高いのはポイントである。隣にはかなり大きな上腕骨も展示されていた。

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 タイ産の古竜脚類(イサノサウルスと同じナム・ポン層産だがこちらの方がやや新しいもよう;実物)。ルーフェンゴサウルスと近縁であるらしい。部分的ではあるがよく保存されている。

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 今回の個人的目玉その1、ジンシャノサウルス sp.の頭骨。もともとルーフェンゴサウルスと同定されていた曰くつきの標本(のレプリカ)である。割と歪んでいる(正面から見ると顕著)のだが、非常にきれいに保存されている。

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 オメイサウルス・マオイアヌスの有名な頭骨(実物)である。内側面が見えていることに注意。

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 今回の個人的目玉その2、タイ産マメンチサウルス sp.(実物) コラート層群のプー・クラドゥン層産である。プー・クラドゥン層の年代ははっきりしていないようなのだが、どうも花粉化石からして白亜紀初期の可能性があるという。シャモティラヌス(後述)と合わせて、ジュラ紀半ば過ぎの中国で栄えたグループがタイで生き残っていたということなのかもしれない。

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 状態のよすぎる標本ばかり見ていると息が詰まるということで本展の癒し担当、スゼチュアノサウルス改めヤンチュアノサウルス(当然キャスト)である。属の移った経緯がキャプションでフォローされているあたりは流石である。
(なお、ややこしいことにS."ヤンドンネンシス”やS.キャンピの参照標本、あるいは"スゼチュアノラプトル”として知られていたCV 00214はY.シャンヨウエンシスの参照標本に、S.ジーゴンゲンシスの模式標本ZDM 9011はそのままY.ジーゴンゲンシスとされている。図録に種小名は書かれておらず、しかも筆者はこの復元骨格の素性についてよくわかっていないのだが、こいつはZDM 9011ではなくCV 00214をベースとしているようである。)

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 で、元スゼチュアノサウルスでほっこりしたところに襲いかかってくるのが凶暴な出来(アップは自主規制)のプウィアンゴサウルスの復元骨格(キャストというかほぼ模型くさい)である。いかにもパチ臭い頭骨を除けばほどほどの出来・・・と思っていた筆者はしょせん甘ちゃんだったわけで、肘が逆に曲がっているように見えるのは錯覚ではない。足元に素晴らしい純骨がいくらか転がしてあるのが追い打ちをかけてくる。
(もっとも、2009年の上野で史上最強最悪の復元骨格を見てしまった筆者にとってはもはや大したダメージではなかった。来いよベネット、純骨なんか捨ててかかってこい!)

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 プウィアンゴサウルスで大きくHPを消耗しても、イクチオヴェナトルがいるので安心である。模式標本のキャスト(原記載時にはまだ発掘中だった頸椎や肋骨、複数の尾椎などが追加されている)をそのまま組み上げ、針金でシルエットを加えた意欲作で、素材の味がそのまま生きている。この骨格の所蔵はFPDMとなっており、今後も何かと見る機会がありそうだ。
 原記載時の系統解析ではバリオニクス亜科とされた(図録もそのまま)本種だが、模式標本の追加要素の産出にともなって、スピノサウルス亜科に移る可能性が指摘されているようである(SVP 2014のアブストラクト参照)。狂ったように写真を撮りまくった(100枚近く撮ったバカ)ので、近いうちに骨格図を描きたいところである。

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 タイの新顔、ラチャシマサウルス(キャスト)。これだけ歯骨が細いので、なかなか面白い顔だったと思われる。

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 イクチオヴェナトルの向かいでポール走りしているのは一昨年にお披露目されたタイ産のイグアノドン類(コク・クルアト層産;レプリカ)である。コンポジットにしてもなおさほど産出部位が多いわけではないのだが、非常によくできている(最近のFPDM製復元骨格はコンカヴェナトルといいかなりの出来である)。ポールが泣いて喜ぶほどポールである(意味不明)。ラチャシマサウルスやシアモドンと同じ地層からの産出ではあるのだが、どうも別属らしい。
(このクオリティーでフクイサウルスとフクイラプトル作り直さない?ねぇ?)

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 こちらはラオス産(コク・クルアト層相当産)のイグアノドン類(キャスト)である。上の復元骨格のベースになったものとは胴椎の神経棘が低かったり座骨のブーツが尖っていたりで結構差がある。

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 さりげなく、モロッコのケムケム産のスピノサウルスの立派な胴椎が展示されていたりもする。うーん、モロッコかぁ・・・・・・。

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 本展の個人的目玉その3、タンヴァヨサウルス(キャスト)。ここまで尾椎が綺麗にそろっているのもなかなかレアである。

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 同じくタンヴァヨサウルスの後肢。足骨格がよく揃っているのも好感度高しである。このほか、頸椎や胴椎、上腕骨、腰帯、大腿骨も展示されている。

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 タンヴァヨサウルスに混じってアピールするフクイティタン(キャスト)。椎骨はともかく、前後肢はきれいに残っているのである。

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 個人的目玉その4、タイ産のスピノサウルス類(コク・クルアト層産の実物;3枚の写真を適当に合成)。タイのスピノサウルス類といえばシアモサウルスだが、この標本はそれよりも新しい。詳細は現在研究中ということで、同年代にあたるイクチオヴェナトルとの関係も気になるところである。

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 伝説のシャモティラヌス(キャスト)。近年の系統解析ではメトリアカントサウルス科のなかに置かれており、先述のマメンチサウルスと相まって、古いタイプの恐竜が白亜紀前期のタイあたりに落ちのびていた可能性を示している。

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 個人的目玉その5、コク・クルアト層産のカルカロドントサウルス類(実物)。南アジアでもカルカロドントサウルス類とスピノサウルス類がひとつところに暮らしていたというわけである。さりげなくめちゃくちゃデカい。

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 忘れちゃいけないプシッタコサウルス・サッタヤラキ(キャスト;本当にプシッタコサウルス属かは知らん)。コク・クルアト層産ということで、カルカロドントサウルス類やスピノサウルス類に混じってちょろちょろしている絵面を想像すると心が豊かになる。

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 で、ラオスからもプシッタコサウルス sp.が産出しているわけである(展示はキャスト)。イクチオヴェナトルと同じ地層からの産出で、たまに襲われることもあったかもしれない。

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 浙江省産のテリジノサウルス類(未命名;キャスト)と“ガリミムス・モンゴリエンシス”(キャスト) 。テリジノサウルス類は純中国製にしてはなかなかいい出来である(第Ⅴ趾が思い切り存在するのには目をつぶっておく)。

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 個人的目玉その6、江西省産のトカゲと恐竜の卵(エロンガトウーリス類)。卵を狙いに来たのか、あるいは幼体のエサになるところだったのかはわからない。

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 個人的目玉の7番目はこちら。浙江省産のアンキロサウルス類(未記載;実物)である。ハンマーはかなり立派な作りで、全体としてよく保存されている。

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 同じものの頭骨を左側面から。潰れてはいるが吻がきれいに保存されている(ぺしゃんこだが下顎もそのまま関節している)。左側面は後頭部が欠けているのだが、右側面はほぼ完全に残っているようだ。また、裏側には「喉鎧」もきれいに残っているという。

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 最近めでたく疑問名になったジェージャンゴサウルス(キャスト)。系統不明のアンキロサウルス類に叩き落された(同じ地層から産出したドンヤンゴペルタは有効なノドサウルス類として生き残っている)が、なんにせよこの骨格の出来は貫禄の中国製といったところである。

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 個人的目玉その8。ジェージャンゴサウルスは無残な出来だが、隣の山西省産アンキロサウルス類は非常にきれいである。純骨のコンポジットなのだが、(皮骨の配置はともかくとして)丁寧に仕事をしているようにみえる。隣のジェージャンゴサウルスとの落差に涙が止まらない。

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 吻がごっそり欠けているが、頭蓋天井と後頭部はわりあい保存されているようである。そのうち名前が付くだろう。



 展示はだいたいこんな感じ(恐竜以外の展示はだいぶ端折ったが)である。いくつかアレな出来の骨格(プウィアンゴサウルスとかプウィアンゴサウルスとか)があったが、全体として玄人好みのよい標本が揃っていたように思う。未記載標本がごろごろ展示されているのも特長で、今後の研究の進展がとても楽しみである。なかなか南アジア(中国はともかく)の恐竜は注目されないのだが、今回の特別展がなにがしかのきっかけになればと思う。
(なお、今回の図録は色々な意味で資料的に「使える」代物である。特別展へ行けない方も、通販で買って損はしない)

気が付いてみれば

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 夏が終わってみれば、ブログを始めて2年が経っていました。なんだかんだで2年続いたことに、実はちょっと驚いていたりもします。

 とにかく必死(?)だった1年目ですが、2年目はもう少し(気持ちの)余裕をもって書くことができたような気がします。本業が忙しくなったりもして、だいぶ更新ペースを落とすことになりましたが。。。去年に引き続き、今年もずいぶん海外からの読者の方もおられるようで、嬉しい限りです。だいたいホルツ博士の仕業なのかもしれませんが。。。

 なにかとお世話になったnさんに触発されておっかなびっくり始めたTwitterはなんだかんだでよいツールとなってくれたようです。nさんほか、そちらでお世話になっている皆様にもこの場を借りて感謝をば。また何かあるときはよろしくお願いします。
 それから、貴重な資料を快く提供して下さったPelitzさん、Sさんには大変お世話になりました。また、Twitterでの筆者のわがままに快く応じて下さったJ.マロン博士にも感謝を。うまいこと記事にしていきたいと思います。
 最後に、どこからともなくこのブログを嗅ぎつけた読者の皆様には色々な刺激を頂きました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

ネメグトの王たち【ブログ2周年記念記事】

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↑Tyrannosauroids of Nemegt formation.


 おかげさまでブログ開設2周年である。相変わらず白亜紀前期以前のネタに乏しい本ブログであるが、筆者の本業が白亜紀後期なので仕方のないところである(殴 
 記念記事のネタを募集する余裕もなかった筆者(夏は実際色々あったのだ)なのだが、今回はタルボサウルスをはじめとするネメグト層のティラノサウルス類について書きたい。以前からちまちま資料を集めてはいたものの、なかなか記事を書けずにいた連中でもある。

 モンゴルで輝かしい成果をおさめたアメリカ隊の遠征―――言うまでもなくアンドリュースが隊長である―――だったが、モンゴルの政情不安やらなんやらで、1920年代の後半には遠征を取りやめなければならない事態に陥っていた。1927年から1931年にかけて行われた中国―スウェーデン隊の調査ののち、モンゴルにおける大規模な脊椎動物化石の調査は1946年に始まるソ連隊の遠征を待たねばならなかったのである。
 冷戦の勃発によって西側諸国がゴビへと入ることはできなくなったが、ここで調査隊を送り込んだのがソ連である。1946年から3シーズンに渡って大規模な調査隊をゴビ砂漠へと送り込み、アンドリュース隊の発見できなかった一大産地―――ネメグト盆地を発見したのだった。

 ネメグト盆地では重要な恐竜化石の産地がいくつも確認され、そこかしこからティラノサウルス類の化石が産出した。1946年の調査(主に産地探しが目的だった)で巨大なティラノサウルス類の部分頭骨と骨格の一部が採集され、続く2シーズンで複数のほぼ完全なティラノサウルス類の骨格が採集された。終わってみれば、3シーズンで7体ものティラノサウルス類がモスクワの科学アカデミー送りとなっていたのである。
 調査隊付きの古生物学者であったマレーエフは、調査が終わるとさっそく採集された恐竜化石の研究に取り組んだ。かくして1955年、マレーエフはネメグト層(マーストリヒチアン前期;7000万年前ごろ)から産出したティラノサウルス類4種を記載・命名した。
 初年度に発見された巨大な頭骨と部分骨格PIN 551-1にはティラノサウルス・バタールTyrannosaurus bataar、それよりやや小さいPIN 552-1にはタルボサウルス・エフレモヴィTarbosaurus eflemovi、北米のゴルゴサウルス・リブラトゥスと同じくらいのサイズだったPIN 553-1にはゴルゴサウルス・ランキナトルGorgosaurus lancinator、そして小さなPIN 552-2にはゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィG. novojiloviの名が与えられた。
 明らかにマレーエフは北米のティラノサウルス科を念頭に置いて命名しており、ティラノサウルスよりは小さいがゴルゴサウルスにしては大きすぎるティラノサウルス類について、タルボサウルス属を設立したようである。ネメグト層産のティラノサウルス類を3属4種とするマレーエフの説に対しては、ソ連隊の調査で一緒だった若手のロジェストヴェンスキーが疑問をなげかけている。ロジェストヴェンスキーはこれらがすべて同じ種の成長段階の例に過ぎないと考え、1965年、ここにタルボサウルス・バタールの名が生まれたのだった。

 ネメグト層産ティラノサウルス類の分類で揉める一方、ゴビでは新たにポーランド―モンゴル隊やソ連―モンゴル隊による調査が行われるようになっていた。ポーランド―モンゴル隊は、ネメグトでソ連隊の発見できなかった多数の新種を発見し、ワルシャワへと送った。またソ連―モンゴル隊もネメグトで優れた化石を多数発見した。
 これらの中にはほぼ完全なタルボサウルスの大型幼体(ZPAL MgD-I/3)や、奇怪な頭骨と体部の破片――PIN 3141/1が含まれていた。PIN 3141/1は1976年になってロジェストヴェンスキーの愛弟子であったクルザノフによりアリオラムス・レモトゥスAlioramus remotusとして命名された。また、ポーランド―モンゴル隊は謎の「コエルルス類」を発見し、だいぶ後になって(1996年)バガラアタン・オストロミBagaraatan ostromiとして記載している。

 ロジェストヴェンスキーによるネメグト産ティラノサウルス類の分類―――マレーエフの命名した3属4種をタルボサウルス・バタール1種に統一するもの―――は広く受け入れられた。が、80年代の末になるとここに異議を唱える者が現れた。なんとなくピンときた方もいるだろう。G.ポールの出番である。
 ポールは改めてPIN 551-1とティラノサウルス・レックスが酷似していることに着目した。ネメグト層の年代がいまいちはっきりしないことも相まって、一連のネメグト産ティラノサウルス類とティラノサウルス・レックスが年代的に区別できない可能性についても触れている。かくして一連のマレーエフの種をひとまとめにするロジェストヴェンスキーの意見を踏まえつつ、ポールは属をティラノサウルスに差し戻した。
 一方でカーペンターはゴルゴサウルス・ノヴォジロヴィを新属マレエヴォサウルスとした。それ以外の種についてはポールと同様、ティラノサウルス・バタールにまとめている。

 こうして、ネメグト産のティラノサウルス類はティラノサウルス(ないしタルボサウルス)・バタールとマレエヴォサウルス・ノヴォジロヴィ、そしてアリオラムス・レモトゥスの3種に落ち着いたはずだった。が、(すでにお察しの方も多いだろうが)ここで現れたのがオルシェフスキーであった。
 オルシェフスキーが注目したのはネメグト産ティラノサウルス類のサイズであった。ポールやカーペンター言うところのティラノサウルス・バタールには、やけに「亜成体」サイズのものが多かったのである。もっと突っ込んでいうと、T.バタールの模式標本PIN 551-1を除くほとんどの標本が全長10m程度の「亜成体」だった。そこで「亜成体」をうまく分類すべくタルボサウルス・エフレモヴィを復活させると同時に、オルシェフスキーはT.バタールとT.レックスとの類似が収斂の結果であるとみなした。かくして彼はT.バタールをジンギスカン・バタールJenghizkhan bataarとして命名し直したのだった。

 かくして再び混沌の渦にのみこまれたネメグトのティラノサウルス類だった(アリオラムスはこの時点では平然と独立を保っていた)が、カーによる北米産ティラノサウルス類の成長に伴う形態変化の研究(1999年)の結果、あっけなくマレエヴォサウルスもジンギスカンも消滅してしまった。残る問題は、ティラノサウルス属にまとめるかタルボサウルス属として独立させるかだった。
 ここで脚光を浴びたのが、ポーランド―モンゴル隊によって採集されながら長らくほったらかされていたZPAL MgD-I/4である。これにはよく保存されたほぼ完全な頭骨が含まれており、詳細な記載にはもってこいだったのである。ふたを開けてみればティラノサウルス・レックスとの間にいくつかの重要な違い(パッと見で分かるのは涙骨と鼻骨の縫合線くらいである)が認められ、タルボサウルス属の有効性が再確認されたのだった。
(一方で、一部の研究者は未だにティラノサウルス・バタールの名を用いていたりもする。実際問題かなり近縁なのは確かである。)

 ティラノサウルス類の成長にともなう形態変化が徐々に明らかになるにつれ、アリオラムス・レモトゥスの有効性に黄信号が灯るようになった。アリオラムスの細長い吻は、ティラノサウルス類の幼体によく見られる特徴でもあったのである。もっとも、アリオラムス属の新種であるアリオラムス・アルタイA. altaiやタルボサウルスの小型幼体の発見、アリオラムス属と近縁であるチエンジョウサウルスの発見によってアリオラムス属の有効性は確かなものとなっている(A.アルタイがA.レモトゥスのシノニムである可能性は残っているが)。
 「コエルルス類」とされたのち分類不明の獣脚類として記載され、その後も分類で揉めまくったバガラアタンだが、最近では基盤的なティラノサウロイドと考えられるようになった。つまり、7000万年前頃のネメグトには4種もの(広義の)ティラノサウルス類がのさばっていたことになる。

 タルボサウルスが竜脚類やハドロサウルス類、デイノケイルスやテリジノサウルスを襲っていたのは確かだろう。また、アリオラムスやバガラアタンはもっと小型の獲物を襲っていたと思われる。それぞれの種の成体同士で少なからず食べわけが成立していたのは確かだろうが、一方でタルボサウルスの幼体とアリオラムス、バガラアタン(そしてアダサウルス)とでは競合が生じるようにも思われる。もっとも、小型哺乳類やトカゲ、カメなどに加えてネメグトの小型恐竜は非常に多様であり、そのあたりはうまくやっていく余裕があったのだろう。そのあたりを想像するのはとても楽しいことでもある。
 ネメグト層のティラノサウルス類、特にタルボサウルスは化石の質・量ともに大変恵まれており、ティラノサウルス類の成長云々を考えていく上で非常に大きな意味をもっている。ソ連隊の最初の調査で発見された標本の再記載もなかなか面白いかもしれない。また、より小型の比較的派生的なティラノサウルス類(この場合アリオラムス)が共存していたというのも興味深いところである。
 ネメグト層の化石は非常に保存状態が優れており、先述の多様性の高さ(小型鳥脚類が全く知られていないのにも関わらず、である)は少なからずそのあたりに起因しているのかもしれない。ソ連隊が足を踏み入れてから70年が過ぎようとしているネメグト盆地であるが、まだまだ色々なことを教えてくれそうである。

漁師の血筋

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↑Skeletal reconstruction of Ichthyovenator laosensis.
Based on described holotype (MDS BK10-01~15)
and currently undescribed additional elements (of holotype?).
Scale bar is 1m.
Notes: Described holotypic elements are based on Allain et al. (2012), but undescribed elements (reported in SVP 2014) are based on photographs of mounted cast.

 本日で終わってしまう福井県立恐竜博物館の特別展「南アジアの恐竜時代」に行かれた読者の方も少なくないと思う。本ブログでもレポを書いたりしたわけだが、なかなかよい展示であった。
 さて、この特別展の目玉のひとつだったのがイクチオヴェナトル(筆者は「ベナトール」の表記は間抜けな感じがしてあまり好きではない。アルファベットで書けりゃいいんだよそれで(暴言))の復元骨格である。頸椎が見つかっていたのかと驚かれた方もおられるだろう(筆者もそのクチである)が、実のところこの復元骨格には未記載の要素(ほぼ間違いなく模式標本と同一個体だが、原記載時にはまだ採集されていなかった)が含まれており、そういう意味でも必見の代物だったのである。

 イクチオヴェナトルが発見されたのは2010年のことである。ラオスでは1980年代からフランスとの共同調査が行われており、2010年の共同調査は前回から9年ぶりのことであった。調査隊はサワンナケートの“上部砂岩層”(あるいはナム・ノイNam Noy層;原記載における年代は白亜紀前期のアプチアンとされていたが、どうもアルビアンであるらしい)で、部分的に関節した大型獣脚類の化石を発見したのだった。
 ひとまず採集された骨格には、よく保存された胴椎と尾椎少々、それに完全な腰帯と仙椎が含まれていた。仙椎の椎体はほとんど侵食で失われていたものの、そっくり生前の配置を留めていた。

 部分的な骨格(頭骨はおろか歯の1本も見つからなかった)ではあったものの、系統解析の結果、本種はスピノサウルス科のバリオニクス亜科に位置付けられた。アジアでは以前からシアモサウルスに代表されるスピノサウルス類らしき歯や不定のスピノサウルス類の部分骨格(これも福井に来ていた)などが知られていたが、まとまった骨格の発見はこれが初めてであった。
 イクチオヴェナトルの「背びれ」はなぜか二股に分かれており、かなり強烈な代物である。胴体の前方にかけてどのような形態だったのかわからないのが歯がゆいところであるが、現状ほかのスピノサウルス類には見られない、非常にユニークな特徴である。

 そんなこんなで腰回りしか見つかっていなかったイクチオヴェナトルであるが、その後も続けられた発掘で関節したほぼ完全な頸椎(と第1胴椎)、複数の肋骨や尾椎、血道弓、そして歯が採集されている。第1胴椎は謎の獣脚類として名高かったシギルマッササウルスSigilmassasaurus―――スピノサウルスと同じ地層から見つかっている―――と酷似しており、かくして(イブラヒムやセレノが「新復元」のついでに報告したとおり)シギルマッササウルスの正体も明らかとなったわけである。
 原記載では(疑問の余地もあると断りつつも)バリオニクス亜科とされたイクチオヴェナトルだが、追加要素の産出によってスピノサウルス亜科に近縁である(移動する?)可能性が指摘されている。追加要素の記載とともに、近いうちに出版されることになるのだろう。
 スピノサウルス亜科に近縁ということで背びれ以外の復元が気になるところではあるのだが、イクチオヴェナトルの腰帯はスピノサウルスのそれと比べて相対的にずっと大きいようである。スピノサウルスの「新復元」の信憑性はともかくとしても、イクチオヴェナトルがしっかりした後肢だけで歩いていたのは多分確かだろう。

 先述したタイの不定のスピノサウルス類は、イクチオヴェナトルとほぼ同時代に暮らしていたようである。現在研究中であるといい、イクチオヴェナトルとの関連が気になるところである。また、それと同じタイの地層からはかなり大型のカルカロドントサウルス類も発見されている。北アフリカと同様、南アジアでもひとつところにスピノサウルス類とカルカロドントサウルス類が暮らしていたようである。

SVPの私的まとめ

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 ご存知の方も多いだろうが、先日ダラスで古脊椎動物学会の2015年年会(いわゆるSVP 2015)がおこなわれた。毎年のことながら恐竜がらみの興味深い発表が数多くあり、今後が実に楽しみである。筆者的に気になったものを備忘録を兼ねて適当に書いておきたい。

・ナノティラヌス何度目かの死亡
 いよいよティラノサウルス類の幼体「ジェーン」のモノグラフが出版されるということで、それに絡んだ発表である。モノグラフの執筆/学会発表はT.カーということで、お察しの通りナノティラヌスは消滅した。
 結論はどうあれ(モンタナ闘争化石の記載か、さもなくば「ナノティラヌスの成体」が出ない限り決着をつけるのは無理だろう)、ジェーンの記載が出版されるのは喜ばしいことである。手に入れた暁には骨格図を自分なりに描いてやりたいところではある。

・ティラノサウルス上科の系統解析
 系統解析はなにかと揉めるものである。今回、新たなデータセットに基づくティラノサウルス上科の新たな系統解析の結果が報告された。
 曰く、(従来位置の定まっていなかった)ユティラヌスはプロケラトサウルス科へ移動した。エオティラヌスとシオングアンロンは相変わらず「中間位置」に置かれているという。また、もっぱら「中間位置」とされてきたドリプトサウルスはアリオラムス族に置かれたという(アリオラムス族は今回ティラノサウルス科内に位置付けられた)。なにかと興味深いところであり、きちんとした図を(出版物として)見たいものである。

・「2本指」のテリジノサウルス類
 モンゴルのバヤンシレBayanshiree層(セノマニアン~チューロニアン)といえばエニグモサウルスにエルリコサウルス、そしてセグノサウルスと、多様なテリジノサウルス類が産出している。今回報告されたテリジノサウルス類の化石は下腕から手にかけて関節した状態で保存されており、特にテリジノサウルス類の関節した手の化石はバヤンシレ層からは初めての報告となる。
 今回報告された化石が上述のどれに属するのかは(現時点で公表されているかぎりでは)不明である。が、これには非常に退縮した第Ⅲ中手骨(近位端の幅が第Ⅱ中手骨の1/4しかない。遠位端は失われていた)が含まれていた。これはすなわち、第Ⅲ指(未発見)がほとんど退化(あるいは消失)し、機能指が2本だけになっていた可能性を強く示している。
 驚くべきことに、この化石には第Ⅰ末節骨の「さや」が保存されていた。さやは強くカーブしており、さやを含めた長さは第Ⅰ末節骨そのものの54%増しになっているという。この化石は第Ⅲ中手骨を除けば他のテリジノサウルス類とよく似ているといい、他のテリジノサウルス類でも生時は爪の長さが化石の1.5倍ほどになっていたのだろう。

・サウロルニトレステスの全身骨格
 サウロルニトレステスのまともな骨格と言えば、今まで2体の部分骨格が知られているにすぎなかった。それゆえ系統的な位置付けは安定せず、そのうえ両者とも記載はほとんどおこなわれておらず、完全な記載も待ち望まれていたのだが、それどころではなくなってしまった。
 今回報告された新標本UALVP55700は非常に保存状態がよく、なにかと貴重な胸郭もきれいに保存されていた。頭骨はヴェロキラプトルよりもアトロキラプトルに似ており、予察的な系統解析でもアトロキラプトルそしてバンビラプトルと近縁とされた。
 新標本の顎にはいわゆる「パロニコドン型」の歯も確認されたという。なにかと記載が楽しみである。

・タプイアサウルスとネメグトサウルス科の「崩壊」
 タプイアサウルスといえば非常によく保存された頭骨が有名である(体骨格の記載はよ)。今回、詳細な観察の結果と系統関係の見直しについて報告がおこなわれている。
 曰く、タプイアサウルスはネメグトサウルス科ではなかったらしい。「ネメグトサウルス科」の抱える問題点は今まで指摘されていたが、案の定ということのようだ。新たな系統解析では、タプイアサウルスはマラウィサウルス、タンヴァヨサウルスと近縁とされている。また、ネメグトサウルス―ラペトサウルスクレードも「崩壊」するのだという。この系統解析の結果もぜひきちんとした図で見たい。

・タニウス
 どうも近いうちにタニウスが再記載されるようである。すでに首から後ろの記載は修論としてネットに出回っており、公式な出版物を指折り数えて待っている筆者である。

・グリポサウルス属の種また増える
 ジュディス・リバー層からの報告である。いわく、G.ラティデンスとG.ノタビリスの中間に位置する新種であるという。正直ジュディス・リバーはノーマークであった。

・ペンタケラトプスの幼体
 ペンタケラトプスの幼体のほぼ完全な骨格NMMNH P-68578が報告された。上腕骨の長さが460mm、尺骨が405mm、大腿骨が670mmと、ざっくり成体の半分のサイズということのようだ。ケラトプス科角竜の幼体のよく揃った化石はペンタケラトプスに限らず珍しいものであり、非常に重要である。

・カスモサウルスとかコスモケラトプスとか
 従来カスモサウルス・ベリとされていた頭骨YPM 2016は最近になって新種{?}の可能性が指摘されているのだが、やはりその可能性が濃厚そうである。ヴァガケラトプスとの類似が指摘されている。
 また、ペンタケラトプス・アクイロニウスの記載にかこつけて報告された「カナダ産コスモケラトプス」だが、どうもこれは(元々の同定の通り)カスモサウルスだったようである。

・デンヴァ―サウルスの復活
 デンヴァ―サウルスといえば、エドモントニア属に含まれることがほとんどであった。今回、「パノプロサウルス類」に関する詳細な再検討の成果が報告されている。それによると、デンヴァ―サウルスはエドモントニアよりパノプロサウルスに近縁で、有効属として扱うべきだという。パノプロサウルスとデンヴァ―サウルスの方がエドモントニアより派生的であるともいう。



 独断その他で筆者の気になるトピックを取り上げたが、他にも興味深い話題はたくさんある。アブストラクトはフリーなので、興味ある分類群の名前でも検索窓に適当に打ち込んでやるとよいだろう。

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